アジア太平洋社会主義者会議

アジア地域の非共産党系社会主義政党の国際的連帯は、第二次大戦後、社会主義インターの設立に刺激されて始まり、1953年アジア社会党会議という組織するに至りました。本部はビルマのラングーンに置かれ、アジア、アフリカの反植民地運動と独立とを促進することにその活動の重点が置かれました。しかし50年代から60年代は、アジア地域内の政治的不安定のために、活動は不可能となり、会議は事実上消滅しました。その後60年代の終わりになって同会議復活の話し合いが始まり、70年3月にニュージランドでの予備会議において新組織の結成が合意されました。その結果72年5月シンガポールにおいて7力国8政党からの代表者による新組織結成大会が開催され、正式の名称を表記の如く定めました。同組織は、結成大会で採択された宣言のなかで、同組織がこの地域における民主社会主義をさらに推し進めるため、またこの地域内の友党間のより一層の理解と協力関係のための役割を果たすものであることを誓うと述ぺているように、社会主義インターと一体不離の地域組織であり、思想的には議会制民主主義を堅待して正義と平等の社会を創造することを目的としていました。同組織は、それぞれ独立の政党の連絡機関であるために、その会議での決議も道徳的拘束力以外にはもち得ませんが、精神的影響力は少なくなく、創立大会で、加盟を認められたのは、次の諸政党でした。日本社会党、日本民社党、ニュージーランド労働党、オーストラリア労働党、マレーシア民主行動党、シンガポール人民行動党、韓国統一社会党、イスラエル労働党、インド社会党。このうちシンガポール人民行動党は、同国の建国以来単独で政権を維持しており、イスラエル労働党は連立政権に参加していました。オーストラリア、ニュージランドの労働党は72年の総選挙で勝利し、攻権を担当しています。事務局はシンガボールに決定し、結成大会は次ぎの5つの決議を採決しました。平和に関する決議、インドシナ半島、インド大陸、西アジア、朝鮮半島における紛争の解決と平和の確立、バングラデシュに関する決議、アフミ違盟との提携強化、バングラデシュヘの調査団派遣、核実験禁止の決議、フランスの太平洋における核実験計画に抗議し、核実験の禁止および太平洋非核武装地帯の設置の呼びかけ、中華人民共和国に関する決議、中国の国連加盟を歓迎、アジア各国の国交促進のため親善使節団を派遣する、青年組織の強化の決議9、同会議はこれら決議の趣旨を生かすため、友党問の連絡強化、地域ゼミナールの開催、経済社会開発計画の立案などを計画していました。

社会主義とお金

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