階級政党と国民政党

マルクス主義の立場に立つ社会民主主義政党はマルクスの階級闘争理論に基づき、階級政党論を主張しました。ブルジョア階級を代表する保守党に対して、社会民主主義政党はプロレタリア階級を代表するものとされました。階級政党論は、国家が階級抑圧機関としての性格を農厚に持っていた19世紀末までは正しいように見えましたが、第一に、普通選挙権に基づく議会制民主主義が実現され、第二に社会政策が本格的に行われるようになって、次第に現実離れしたものになりました。それは普通選挙権によって社会民主主義政党が国会に進出すると、立法に対する責任を分担しなければならず、ついには連立または単独の内閣を組織して統治の責任を負わなければならないために、プロレタリア階級の利益だけを代表して階級政党としての立場を貫くことは本可能となります。特に社会政策に関する法案が審議される際、これをブルジョア階級の階級的利益に奉仕するブルジョア立法であると決めつけるならば、階級政党としての立場を守れる代わりに、その半面、労働者階級の現実の利益を犠牲にして、労働組合の支持を失うことになります。そこで、普通選挙権に基づく議会制民主主義が実現され、社会政策立法が国会で審議されるようになると、階級政党論は空洞化し、事実上、国民政党論と妥協せざるを得なくなります。そこで国会の場において、保守党と国家の指導権を争うという形態の階級闘争を闘うためには、マルクス主義の階級間争理論では不十分ということになります。逆にマルクス主義の階級闘争理論を捨てて、全国民の利益を代表する国民政党という立場を明確に打出すことによって、膨大な中間層の支持を確保し、国家の指導権をめぐる保守党との選挙戦に勝つことができるのです。日本では階級的大衆政党または階級的国民政党という語が用いられており、社会党はその立場を代表すると称していました。これはなおマルクス主義的考えが残存している場合、一方にいぜん階級政党の言葉に固執する考えがあり、他方で実際の活動は階級を超えた国民的視野に立たざるを得ないため、その双方の妥協として用いられることが多い反面、今日では階級政党や国民政党という言葉は、党内外の左翼のイデオロギー論争の場合に、キャッチフレーズとして便われるにとどまり、実際の政策とは関係ないことが多くなっています。

社会主義とお金

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